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Episode-1. ボスうさぎの回顧録

今現在、私が使用しているパスポートは6冊目です。1冊目のパスポートには羽田、サンフランシスコ間の3往復のスタンプのみ。
はじめての国際線のフライト、JAL-002便に関しては、以前にも触れているので省略します。
とにかく、超貧乏留学生時代の事、City College of  San Francisico の学生として、はじめての夏休みを迎えた時の事、当時として一番安く手に入れる事のできたS.F.→ 羽田の往復航空券は・・・

≪続 き≫
China Airlines の特別割引航空券で、確か450~500ドル位だった様な記憶があります。
ある意味、今現在とそれ程変わらないという印象を持たれる方もおいでかと思いますが、どっこい為替レートが・・・どすこいです。
1ドル約310円、つまり、おおよそ15万円での往復だった訳で、当時の私にとっては、とてつもない贅沢な訳で・・・今考えると本当に両親に感謝です。

1974年8月6日に羽田着、タクシーで新宿、新大久保にあった友人宅に向かいました。
タクシーのドライバーさんが「お兄さん、どちらまで?」と聞いてきたので、「新宿までお願いします。」と応えたら、「お兄さん、声、女っぽいネ。」ときたもんだ。
その後、車内でなにがしかの会話はあったはず、そして友人宅前に到着し、車のトランクからスーツケースを降ろしてもらい、チップがわりにおみやげとして持っていたMinutes made の100%オレンジジュースを差し上げたら、

「お兄さん、珍しい物をありがとね」・・・・・どすこいです。

その日の友人宅での夕食時、今は亡き、平 光波先生(いけばな、小原流)の
「まぁ、稲森さん、見違える様よ。とても健康的になってお帰りになったのネ。」
という感想に、言葉につまった私自身を思い出しました。

日本出発時、48 kg だった私の体重は、約1年半後に53kgを超えるところまで来ており、食生活の違いが原因かはともかくとして、とにかく太っていたのでした。
貧乏学生の故に着る物も日本から持って行ったものを着ていた為、シャツブラウスのボタンとボタンの間から脂肪のたんまりのった腹部がはみ出していた状態だった訳で、「健康的」という表現はともかく、「見違える様よ。」という表現にはあらがう事は出来ません。

いずれにしても、前述の平 光波先生には大変お世話になり、可愛がってもいただきました。
私自身、彼女からかなり強い影響を受け、心底から尊敬させていただいた方です。
信仰的にも、又、当時の数少ない本物のインターナショナルな感覚をお持ちであった点においても。

彼女の言葉で最も印象に残っているのは、 「稲森さん、受くるより、与うるが幸いなりよ。」 

留学前の1年間、居候の様な状態で、ほぼ丸抱えで面倒を見て下さっていた先生、そして友人の母上に頭の上がらなかった私に対する最高の思いやりの言葉であり、私もいずれは先生を真似て、その言葉を誰かに言ってみたいと思い続けて参りました。

それなのに、今現在も受くる一方です。情けない事この上ありません。残念!


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